自己表現の言語としての写真
14 may 2021

自己表現の言語としての写真

かつて私はサマセット・モームの『月と六ペンス』を読んだことがあります。

「私たち一人一人は世界に一人です。真鍮の塔の中に閉じ込められており、仲間と意思疎通ができるのは手話だけ。

そして、記号には共通の価値がないため、その感覚は曖昧で不確実です。私たちは哀れなことに、自分の心の宝物を他の人に伝えようとしますが、彼らにはそれを受け入れる力がありません。そのため、私たちは孤独に、隣り合ってはいるものの一緒にならず、仲間を知ることができず、仲間に知られていないのです。

私たちは、言語をほとんど知らない国に住んでいて、あらゆる種類の美しく奥深いことを言いながら、会話マニュアルの凡庸さを宣告されているようなものです。彼らの脳はアイデアで沸き立っていて、庭師の叔母の傘が家の中にあるということしか言えません。」

私はこれを何度か読んで、この偉大な作家の考えの深さを受け入れたので、私はおそらく幸せな人間だろうと思いました。私は自分の言語を見つけ、それによって自分の心の宝物を全世界と共有することを学びました。私のこの言語は写真です。